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東京地方裁判所 平成6年(ワ)8173号 判決

原告

株式会社多摩加工

右代表者代表取締役

加納恭子

右訴訟代理人弁護士

中村清

村上誠

被告

第一生命保険相互会社

右代表者代表取締役

櫻井孝頴

右訴訟代理人弁護士

山近道宣

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は原告に対し、五七〇〇万円及びこれに対する平成四年五月一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争点

原告は被告との間で、原告の役員等を被保険者とする生命保険契約(二契約)を締結していたところ、原告の代表取締役であった加納尚志(以下「尚志」という。)が死亡し、右保険契約に基づき、原告に対して死亡保険金合計一億〇七〇〇万円が支払われたが、右保険契約には、被保険者が不慮の事故によって死亡した場合には、右死亡保険金のほか特約に基づく保険金を支払う旨の定めがある。

本件は、原告が被告に対し、尚志は医療過誤によって死亡したものであるから右特約に該当すると主張して、特約に基づく保険金合計五七〇〇万円を請求した事案であり、原告の右主張の当否が争点である。

二  争いのない事実等

1  原告は被告との間で、左記の生命保険契約を締結した(以下、次の(一)の契約を「本件保険契約1」と、同(二)の契約を「本件保険契約2」といい、両者を総称する場合には、単に「本件保険契約」という。)。

(一) 団体定期保険(甲一の1、2、乙二、五)

(1) 契約日 昭和五七年一〇月一日

(2) 被保険者 原告の代表取締役であった尚志を含む原告の役員、従業員

(3) 特約 災害保障特約

(4) 死亡保険金 社長、役員の死亡の場合 七〇〇万円

その他の従業員の死亡の場合

六〇〇万円

(保険料 月額 三八三六円)

(5) 災害死亡保険金 社長、役員の不慮の事故による死亡の場合

七〇〇万円

その他の従業員の不慮の事故による死亡の場合

六〇〇万円

(6) 受取人 原告

(二) 特別終生安泰保険(甲二の1、2、乙一、三、四)

(1) 契約日 昭和五九年四月五日

(2) 被保険者 尚志

(3) 主契約

① 死亡保険金 一億円

② 満期・終身保険金一〇〇〇万円

(保険料 月額 八万八九〇〇円)

(4) 特約

① 傷害特約(不慮の事故による死亡の場合) 一〇〇〇万円

(保険料 月額 七〇〇円)

② 災害割増特約(不慮の事故による死亡の場合) 四〇〇〇万円

(保険料 月額 二〇〇〇円)

(5) 受取人 原告

2  尚志は平成四年四月三〇日午前九時二五分、左心室穿孔による心タンポナーデを原因とする多臓器不全により日本赤十字社が経営する武蔵野赤十字病院(以下「武蔵野病院」という。)において死亡したため、被告は原告に対し、本件保険契約1に基づく死亡保険金七〇〇万円及び本件保険契約2に基づく死亡保険金一億円を支払った。

3  本件保険契約1には前記(3)の災害保障特約が、本件保険契約2には前記(4)の各特約(傷害特約及び災害割増特約)が付され、いずれも被保険者が不慮の事故によって死亡した場合には、被告は原告に対し、それぞれ所定の保険金(本件保険契約1については前記(5)の保険金、本件保険契約2については前記(4)の①及び②の各保険金)を支払う旨が約されている(以下、右各特約を総称して「本件特約」という。)。本件保険契約に適用される保険約款(乙一、二)によれば、本件特約にいう「不慮の事故」の意味は別表のとおりである。

二  原告の主張

1  医療過誤事故の発生

(一) 尚志は平成四年三月二九日、急性心不全により武蔵野病院に入院し、日本赤十字社との間において、急性心不全の症状を治療し、かつ、右症状の原因を診断し、症状及び病状に応じた適切な治療行為を受けることを内容とする診療契約を締結した。尚志は武蔵野病院における治療の結果、約一週間後には症状が改善した。

(二) 尚志の症状が改善した平成四年四月四日ころ、武蔵野病院内科医師丹羽明博(以下「丹羽医師」という。)らは、尚志に対し、確定診断のため、心内膜心筋生検(心臓の心室内等に生検用カテーテルを挿入し、心内膜側から心筋組織を採取して行う検査。以下「心筋生検」という。)の実施を勧め、尚志は右検査の実施を承諾した。

心筋生検は、心室等を穿孔する危険性があり、それによって心タンポナーデ(心膜腔内に急速に血液あるいは液体が貯留して心臓を圧迫し、循環障害を来す状態であって、放置すれば死に至る。)等の重篤な結果を生じさせる危険性のある検査であるが、丹羽医師らは、尚志からその実施の承諾を得るに当たり、尚志又はその家族らに対し、右危険性について説明をしなかった。

(三) 尚志に対する心筋生検は、平成四年四月九日午前九時過ぎころから、武蔵野病院一階検査室において、武蔵野病院内科の非常勤医師であった広江道昭医師(以下「広江医師」という。)及び丹羽医師らにより実施された。広江医師及び丹羽医師らは、尚志の心室内に生検用カテーテルを挿入し、右カテーテルにより左右の心室内から心筋組織を採取したが、広江医師が左心室の心筋組織を採取した際、生検用カテーテルの操作を誤った結果、左心室裏側に穿孔を生じさせ、それにより心タンポナーデが生じた。

(四) 広江医師及び丹羽医師らは、心筋生検中、尚志の左心室に穿孔を生じさせたことに気づかず、同日午前一一時ころ、心筋生検を終了した後に、尚志の意識が消失し、心臓拍動の低下が認められたことなどから、心室穿孔により心タンポナーデが生じていることに初めて気づいた。

その後、広江医師及び丹羽医師らは、尚志の心膜腔内に貯留した血液を排出する措置等を講じたが、意識消失・血液低下等の全身状態は改善されず、数時間後には武蔵野病院外科及び麻酔科医師らの協力を求め、心膜腔内に貯留した血液を排出しやすくするための開胸手術を行ったが、これによっても尚志の全身状態は改善されなかった。

(五) 広江医師及び丹羽医師らは、同日午後六時ころ、尚志の家族らに対し、尚志の左心室穿孔部分を縫合・閉鎖する手術が必要であるが、心臓外科医でない同医師らは右手術を行うことができないので東京医科歯科大学付属病院胸部外科に応援を依頼した旨説明した。その後、同日午後八時ころに到着した胸部外科医師らにより、尚志の左心室穿孔部分を縫合・閉鎖する手術が開始され、右手術は同日午後一一時ころ終了した。しかし、右胸部外科医師らが到着したころには、尚志は既に心臓を停止するなどの症状を呈し、同医師らの措置により心拍は回復したが、意識は消失したままであった。

(六) 尚志は、その後、武蔵野病院の集中治療室に移されて治療を受けたが、右治療は単に生命の維持に資するだけのものであって、結局、意識を回復することなく、平成四年四月三〇日午前九時二五分、左心室穿孔による心タンポナーデを原因とする多臓器不全により死亡した。

(七) 以上の経過から明らかなように、日本赤十字社、広江医師及び丹羽医師らの尚志に対する措置等には次の過失があり、尚志の死亡は医療過誤に基づくものである。

(1) 心筋生検は疾患の治療法としてではなく、単に診断法として行われる検査であり、かつ、心室内に直接生検用カテーテルを挿入して行う検査であるから、心筋生検を行う医師は、細心の注意をもってカテーテルの操作を行い、万一にも心室等に穿孔を生じさせないように注意すべき義務がある。しかるに、広江医師は、右注意義務に違反し、尚志の心室に挿入したカテーテルの操作を誤った結果、尚志の左心室に穿孔を生ぜしめた過失がある。

(2) 医療機関及び医師は、心筋生検中に誤って心室穿孔を生じさせ、それにより心タンポナーデを生じさせた場合、心膜腔内に貯留した血液の排出等によっても患者の意識消失・血圧低下等の全身状態が改善されないときは、直ちに外科的手術を行い、右穿孔部分を縫合・閉鎖して心室からの出血をくい止める措置を講ずべき義務がある。しかるに、広江医師及び丹羽医師らは右義務に違反し、尚志の心膜腔内に貯留した血液を排出して症状の改善が見られなかったにもかかわらず、心タンポナーデの発生から約一〇時間を経過するまで穿孔部分を縫合・閉鎖するなどの措置を講じなかった過失がある。

(3) 医療機関及び医師は、心筋生検には、心室穿孔により心タンポナーデを生じさせる危険性があるから、誤って心室穿孔を生じさせた場合には穿孔部分を縫合・閉鎖し得る人的・物的設備を備えておくべき義務があり、そのような設備を備えていない場合には、重篤な結果をもたらす危険性のある心筋生検を行うべきではない。しかるに、日本赤十字社、広江医師及び丹羽医師らは右義務に違反し、右のような設備を備えないまま心筋生検を実施した過失がある。

(4) 医師は患者に対して検査等を実施する場合、その内容及び危険性を患者又は家族らに十分に説明し、その承諾を得る義務がある。しかるに、丹羽医師らは、右義務に違反し、尚志又はその家族らに対して心筋生検の危険性を説明することなくこれを実施した過失がある。

2  医療過誤事故への本件特約の適用

医療過誤事故は、患者の疾病・体質に起因しない医師らの過失に基づく事故であって、本件における尚志の死亡(以下「本件事故」という。)は、尚志の疾病・体質に起因しない担当医師らの過失に基づく事故である。そして、医療過誤事故は、別表の分類項目10の「外科的および内科的診療上の患者事故」として、本件特約にいう不慮の事故に当たる。

なお、同10のただし書が「疾病の診断、治療を目的としたもの」を除外している趣旨は、外科的及び内科的診療上の事故であっても、診療をするに当たって避けることのできなかった事故、あるいは診療に必然的に伴う患者の疾病ないし体質に起因する事故を除外することにあると解されるのであり、これに対して医療過誤事故は、医療上の処置が適切でなく、患者にとっては事前の同意・承諾の範囲を越えたものであるから、急激性、偶発性、外来性のいずれの要件をも満たしている。さらに、本件の心筋生検は、後述するように、診断の目的だけでなく、研究のための検体採取をも目的として実施されたものであり、その点からも「疾病の診断、治療を目的としたもの」には当たらない。

3  本件事故の特質

心筋生検による死亡率は0.05パーセントにすぎず、右死亡率は急性虫垂炎の治療における死亡率(病的状態が進行し、重篤な結果を生ぜしめる穿孔性虫垂炎を除いた急性虫垂炎においても0.1パーセント以下とされる。)からみても極めて低い確率である。したがって、本件事故は、右死亡率からしても患者にとっては全く予期しない事故であったのであり、急激性、偶発性の要件を具備する。

また、本件事故の原因となった左心室穿孔は、担当医師らが尚志の左心室から診断に必要な数(二ないし三個)以上の六個の検体を採取し、あるいは右の検体を採取するため一〇回前後にわたって心壁に鉗子を押しつけて検体採取を試みたことにより生じたものであり、右心筋生検は、通常行われている心筋生検の手技を著しく逸脱したものである。したがって、本件の心筋生検は、別表本文中の「ただし、疾病または体質的な要因を有する者が軽微な外因により発症しまたはその症状が増悪したときには、その軽微な外因は急激かつ偶発的な外来の事故とみなしません。」とする「軽微な外因」にも当たらない。

4  予備的主張

前記のとおり、本件事故は、担当医師らが尚志の左心室から診断に必要な数(二ないし三個)以上の六個の検体を採取し、あるいは右の検体を採取するため一〇回前後にわたって心壁に鉗子を押しつけて検体採取を試みた結果、左心室に穿孔を生じさせ、それにより心タンポナーデが生じ、多臓器不全により尚志を死亡させたものである。右のように、担当医師らが診断に必要な数以上の検体を採取した理由は、担当医師らが研究のための検体採取をも目的としたことにあった。

したがって、仮に尚志の死亡が本件特約上、「疾病の診断、治療を目的としたもの」として不慮の事故に該当しないとしても、本件の心筋生検が診断の目的だけでなく、研究のための検体採取をも目的として行われた点において、別表の分類項目18の「他殺および他人の加害による損傷」として、不慮の事故に当たる。

5  以上のとおりであり、尚志は本件特約にいう不慮の事故によって死亡したものであるから、原告は被告に対し、本件特約に基づく保険金(本件保険契約1については七〇〇万円、本件保険契約2については合計五〇〇〇万円)及びこれに対する尚志の死亡の日の翌日から支払済みまで商事法定利率である年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被告の主張

1  保険事故の要件

尚志の死亡が、本件特約にいう不慮の事故に当たるというためには、(1) 本件事故が急激かつ偶発的な外来の事故であり、(2) 別表の分類項目に該当し、(3) 右分類項目中に定められた除外事由に該当しないことが必要である。

(一) 不慮の事故の要素

(1) 事故の急激性

事故の急激性とは、結果の発生を避けることができない程度に急迫した状態、あるいは事故が突発的に発生し、原因となった事故から結果としての傷害が発生するまでの経過が直接的で時間的間隔がないことをいうものと解される。そして、特に急激性が要求される趣旨は、身体の衰弱や病気など純然たる自然原因による身体の傷害を除外するためであり、事故と傷害との間の因果関係が直接的で時間的間隔がないことを意味する。

(2) 事故の偶発性

事故の偶発性とは、原因ないし結果の発生が被保険者の立場から予知できない状態にあることを意味する。自殺や生まれつき心臓に欠陥のある者がプールに飛び込んで心臓麻痺で死亡した場合などのように、被保険者の意思に基づく行為により結果として事故を誘致した場合や、結果としての事故は被保険者の関与なしに発生したが、被保険者が事故の発生を予知して防止し得た場合は、偶発性がない。

(3) 事故の外来性

外来という言葉は、内在に対立する言葉であり、事故の外来性とは、傷害の原因が被保険者の身体の外からの作用であることを意味する。傷害が被保険者の身体の内部的原因によって生じた場合は、外来性がない。

(二) 別表の分類項目に定められた除外規定

原告は、本件事故は別表の分類項目10の「外科的および内科的診療上の患者事故」に当たると主張するが、同10には、「ただし、疾病の診断、治療を目的としたものは除外します。」と定められている(以下、これを「本件除外規定」という。)。

すなわち、人体に医療上の処置を施す場合、最悪の場合には死亡というリスクを伴う生体反応が予想されるため、施術前に患者やその家族から右リスクについての承諾・同意を得るのが通例であって、右施術に伴う事故には、一般に偶発性も外来性もないと考えられる。そこで、本件除外規定は、「外科的および内科的診療上の患者事故」であっても、急激性、偶発性、外来性のないものは保険事故に当たらないことを明確にするため、除外事由として、「疾病の診断、治療を目的としたもの」を除外する旨を規定し、「外科的および内科的診療」を、傷害の診断・治療と疾病の診断・治療とに分けた上で、傷害の診断・治療を目的とするものは保険事故とし、疾病の診断・治療を目的とするものは保険事故から除外することを明らかにしている。したがって、事故の第一次の原因が急激かつ偶発的な外来の事実による傷害であれば、その傷害が引き金となって疾病に至った場合でも不慮の事故に当たるが、第一次の原因が身体に内在する疾病である場合には、不慮の事故には当たらないというべきことになる。

(三) 原告の主張によれば、尚志は、急性心不全の治療を受け、症状が改善した後、確定診断を目的として同人の承諾の下に行われた心筋生検の実施中に死亡したというのであるから、本件事故には偶発性、外来性がなく、また、右診療は尚志の疾病の診断・治療を目的としたものであるから本件除外規定に該当し、不慮の事故には当たらない。

2  本件除外規定の趣旨

保険契約は多数の保険加入者を前提にしており、大量処理が必然的なものであるので、保険約款の解釈運用については明確な判断基準のあることが望ましい。仮に、医師の過失の有無・程度により不慮の事故に該当するか否かを判断するとすれば、それは医師の損害賠償責任の有無を判断することと同じ結果となり、そのことは、本件特約が単純に不慮の事故を保険事故としている趣旨を逸脱して、それが「損害賠償責任保険化」することを意味する。そして、保険会社は、医療過誤が問題となった案件については、常に患者側と医師との損害賠償事件の帰すうを待って保険事故に当たるかどうか判断することにならざるを得ず、また、右事件が和解で解決した場合であっても、更に医師の過失の有無を裁判所の判断にゆだねなければならないことになり、このような事態は、前記のような保険契約の大量処理における明確な判断基準の要請に反するものであり、また、低額な保険料で経済的危難に対処しようとする本件特約創設の趣旨・目的にもなじまない。前記のような本件除外規定の趣旨は、この観点からも是認されるべきである。

3  心筋生検及び本件事故について

原告が主張するように、心筋生検において二ないし三個の検体しか採取しないということはあり得ず、通常は五ないし六個の検体が採取される。また、検体の採取数は、医師の裁量の範囲内の問題であり、検査実施についての患者の同意の範囲内の問題である。そして、検体の採取回数が多いとしても、回数に従って穿孔の危険性が質的に変化するとか、比例的に危険が増加することはない。本件においても、穿孔が多数回の検体採取によって発生したとは認められず、一回の採取でも穿孔の可能性はある。

尚志の左心室の穿孔が生じたのは細胞組織を採取したことが原因と思われるが、カテーテルの操作ミスが原因とは考えられない。通常人の場合には、孔は開かないし、仮に開いたとしても自らの体力で速やかに塞がる。孔が開いたこと、その孔が塞がらなかったことは、心筋が脆かったと考えるべきであり、尚志の得意な体質が原因と考えるべきである。

4  予備的主張について

別表の分類項目18の「他殺及び他人の加害による損傷」とは故意による事故を意味する。尚志の死亡は医師の故意によるものではないから、「他殺及び他人の加害による損傷」には当たらない。

第三  判断

一  前記争いのない事実等及び証拠(甲五ないし一〇、二八ないし三〇)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

1  尚志は昭和六〇年ころから心不全を患い、昭和六一年五月、武蔵野病院で受診した。武蔵野病院では尚志の症状を心筋症と考え、昭和六三年に心筋生検を含めた心臓精査を実施したが、典型的な心筋症の所見は認められなかったため、高血圧性心疾患として外来による治療を続けた。

なお、心筋生検とは、心臓の心室内等に生検用カテーテルを挿入し、心内膜側から心筋組織を採取して行う検査であり、症状の確定診断及びその後の治療方針の決定のために必要な検査である。

2  尚志は平成三年一〇月ころから、再び心不全症状が見られるようになり、平成四年三月二九日、急性心不全のため救急車で武蔵野病院に運ばれ、入院した。

治療により、尚志の急性心不全の症状は改善したが、心不全が進行していたため、武蔵野病院では、心筋症への移行ないし心筋変性の程度を把握して今後の治療の参考とすべく、尚志の承諾を得て、再度の心筋生検を実施することとした。右検査は平成四年四月九日に実施されたが、その際、尚志の左心室の穿孔により心タンポナーデ(心膜腔内に急速に血液あるいは液体が貯留して心臓を圧迫し、循環障害を来す状態)が生じた。

その後、尚志は治療を受けたものの回復せず、心タンポナーデを原因とする多臓器不全により平成四年四月三〇日死亡した。

二  争点(原告の主張の当否)についての判断

1  前記のとおり、本件保険契約は生命保険すなわち被保険者の死亡を保険事故とするものであるが、本件保険契約には本件特約が付され、被保険者が不慮の事故によって死亡した場合には、更に所定の保険金を支払う旨が定められているところ、その趣旨に照らせば、本件特約は傷害保険の実質を有するものということができる。すなわち、傷害保険は、被保険者が急激かつ偶発的な外来の事故によって身体に傷害を受けたときに保険金を支払うものであり、本件保険契約に適用される保険約款が、本件特約にいう「不慮の事故」を別表のとおり定義しているのは、その趣旨である。損害保険における保険事故は、急激かつ偶発的な外来の事故による身体の傷害という事実であり、傷害事故の要件としての急激性とは、事故が突発的に発生し、原因となった事故から結果としての傷害が発生するまでの経過が直接的で時間的間隔がないことをいい、偶発性とは、被保険者によって予知できない原因から傷害の結果が発生することをいい、外来性とは、傷害の原因が被保険者の身体の外からの作用をいうものと解される。なお、講学上は右のほか、傷害事故の要件として身体の傷害性を挙げる見解もあり、右要件は、傷害事故から疾病や精神的障害を除外するために必要であると説かれている。

2 原告は、医療過誤事故(医師の診療上の過失によって生じた事故)は別表の分類項目10の「外科的および内科的診療上の患者事故」に該当し、本件特約にいう不慮の事故に当たる旨主張する。

しかしながら、医師の診療行為は、人の身体に対して多かれ少なかれ、いわゆる医的侵襲を加えるものであるから、人の健康に損傷を生じさせる危険があり、また、そのような危険を伴うがゆえに、診療行為は原則として患者又はその家族の同意・承諾の下に行われるものである。このような観点からみた場合、医師の診療行為は、被保険者の同意の下に行われる点において、損害保険の保険事故の要件である急激性、偶発性を満たさないものということができ、診療行為にはいわば本来的に危険が内在する以上、保険約款上、そのような危険をも保険の対象とすることを明らかにしている場合は別として、医師の診療行為から生じた事故は傷害保険が対象とする損害事故には当たらないというべきである。

もっとも、原告が主張するように、医療過誤事故は患者の同意・承諾の範囲を越えたものであり、患者は医師の過失についてまで承諾することはなく、医療過誤事故は患者の予見を超えたものとする反論もあり得るが、別表の分類項目10には除外事由が定められ、「ただし、疾病の診断、治療を目的としたものは除きます。」と規定されているのであって、その趣旨は、前記のとおり、医師の診療行為を傷害保険の保険事故(本件特約にいう不慮の事故)の対象から除外することを明確にしたものと解することができる。すなわち、本件保険契約に適用される保険約款によれば、疾病の診断、治療を目的とした医師の診療上の行為から生じた事故は、本件特約にいう不慮の事故には当たらないものと解するのが相当である。そうすると、別表の分類項目10が「外科的および内科的診療上の患者事故」を不慮の事故に当たるものとし、かつ、本件除外規定により、「疾病の診断、治療を目的としたもの」を不慮の事故から除いている趣旨は、被保険者が身体に傷害を受け、その診療の過程において医師の医療過誤事故が生じたとしても、その基礎には保険事故としての身体の傷害という事実があるからなお保険事故の要件を満たすが、疾病の診断、治療を目的とした医師の診療上の行為から生じた事故(医療過誤事故を含む。)については、疾病を原因とするものとして、傷害保険の対象から除外することを定めたものと解するのが相当である。したがって、原告の前記主張は採用することができない。

3 原告は、尚志の死亡は医療過誤事故によるものと主張するが、仮にそうであったとしても、前記認定事実によれば、尚志は心臓疾患の治療のために入院中、右疾病の診断を目的として行われた心筋生検が原因となって死亡したものであるから、右に説示したところによれば、その死亡は本件特約にいう不慮の事故には当たらない。また、原告は、尚志に対して実施された心筋生検は研究のための検体採取をも目的としたものであるから、本件除外規定にいう「疾病の診断、治療を目的としたもの」には当たらない旨主張するが、右心筋生検が診断の目的で行われたことは前記認定のとおりであり、原告が、主張するように、その検体採取に研究の目的が含まれていたとしても、診断の目的と研究の目的は明確に区別できるものではないから、そのことをもって右心筋生検が本件除外規定にいう「疾病の診断、治療を目的としたもの」に当たらないということはできない。

4 原告は、尚志に対して実施された心筋生検は診断、治療の目的だけでなく、研究のための検体採取をも目的としてされたものであるから、右検査は別表の分類項目18の「他殺および他人の加害による損傷」として不慮の事故に当たる旨主張するが、右分類項目にいう「他殺および他人の加害による損傷」とは、他人によって加えられた故意による損傷を意味するものというべきところ(乙二〇)、右検査が診断の目的でされたことは前記認定のとおりであって、それを武蔵野病院の医師らの故意による損傷ということは到底できないから、右主張もまた採用することができない。

三  以下のとおりであるから、原告の本訴請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないのでこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大内俊身 裁判官木村元昭 裁判官川上宏)

別表  対象となる不慮の事故

対象となる不慮の事故とは急激かつ偶発的な外来の事故(ただし、疾病または体質的な要因を有する者が軽微な外因により発症しまたはその症状が増悪したときには、その軽微な外因は急激かつ偶発的な外来の事故とみなしません。)で、かつ、昭和53年12月15日行政管理庁告示第73号に定められた分類項目中下記のものとし、分類項目の内容については、「厚生省大臣官房統計情報部編、疾病、傷害および死因統計分類提要、昭和54年版」によるものとします。

分類項目

基本分類表番号

1.鉄道事故

E800―E807

2.自動車交通事故

E810―E819

3.自動車非交通事故

E820―E825

4.その他の道路交通機関事故

E826―E829

5.水上交通機関事故

E830―E838

6.航空機および宇宙交通機関事故

E840―E845

7.他に分類されない交通機関事故

E846―E848

8.医薬品および生物学的製剤による不慮の中毒

ただし、外用薬または薬物接触によるアレルギー、皮膚炎などは含まれません。また、疾病の診断、治療を目的としたものは除外します。

E850―E858

9.その他の固体、液体、ガスおよび蒸気による不慮の中毒

ただし、洗剤、油脂およびグリース、溶剤その他の化学物質による接触皮膚炎ならびにサルモネラ性食中毒、細菌性食中毒(ブドー球菌性、ボツリヌス菌性、その他および詳細不明の細菌性食中毒)およびアレルギー性・食餌性・中毒性の胃腸炎、大腸炎は含まれません。

E860―E869

10.外科的および内科的診療上の患者事故

ただし、疾病の診断、治療を目的としたものは除外します。

E870―E876

11.患者の異常反応あるいは後発合併症を生じた外科的および内科的処置で処置時事故の記載のないもの

ただし、疾病の診断、治療を目的としたものは除外します。

E878―E879

12.不慮の墜落

E880―E888

13.火災および火焔による不慮の事故

E890―E899

14.自然および環境要因による不慮の事故

ただし、「過度の高温(E900)中の気象条件によるもの」、「高圧、低圧および気圧の変化(E902)」、「旅行および身体動揺(E903)」および「飢餓、渇、不良環境曝露および放置(E904)中の飢餓、渇」は除外します。

E900―E909

15.溺水、窒息および異物による不慮の事故

ただし、疾病による呼吸障害、嚥下障害、精神神経障害の状態にある者の「食物の吸入または嚥下による気道閉塞または窒息(E911)」、「その他の物体の吸入または嚥下による気道の閉塞または窒息(E912)」は除外します。

E910―E915

16.その他の不慮の事故

ただし、「努力過度および激しい運動(E927)中の過度の肉体行使、レクリエーション、その他の活動における過度の運動」および「その他および詳細不明の環境的原因および不慮の事故(E928)中の無重力環境への長期滞在、騒音暴露、振動」は除外します。

E916―E928

17.医薬品および生物学的製剤の治療上使用による有害作用

ただし、外用薬または薬物接触によるアレルギー、皮膚炎などは含まれません。また、疾病の診断、治療を目的としたものは除外します。

E930―E949

18.他殺および他人の加害による損傷

E960―E969

19.法的介入

ただし、「処刑(E978)」は除外します。

E970―E978

20.戦争行為による損傷

E990―E999

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